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こんにちは。

今日からブログをはじめます!


このブログでは、クルマに関するさまざまな基礎知識、そして最新の中古車情報などを紹介していきたいと思っています。


どうぞよろしくお願い致します。


では最初に、ビッグスリーと呼ばれるメーカーの話からしていきたいと思います。


燗熟期を迎えたアメリカの自動車産業=ビッグスリー。


このビッグスリーが、その恵まれた国内市場における寡占的状態にあぐらをかき、しだいに「停滞現象」があらわれてきました。


行きすぎたデザイン大型化競争に没入するあまり、技術革新をおこたり、小型車の開発と生産を事実上放棄するという形でそれは端的にあらわれていたのですが・・・


1960年代後半から70年代を迎えるにあたって、この停滞現象はさらに顕在化してきます。


ビッグスリーの決定的な凋落は、1979年に始まった第二次石油危機ではっきりするのですが、すでにその前に衰退が始まっていたのです。


戦後の30年余りの期間、アメリカの自動車市場の落ちこみが目立った年は、1952年、58年、61年。


そして第一次石油危機の74年ぐらいのものです。


ビッグスリー凋落の影

対前年比で乗用車だけで年間100万台以上の落ちこみになったのは、1958年と74年だけです。


この間にクライスラーのように、61年頃経営陣の内紛のために利益が大幅に低下したことが例外的にあっても、一貫して欠損を出していないのです。


しかもその中で、市場の規模は乗用車だけで年間600万台ベースから900万台べースにまで拡大しています。


この時期にはもちろん中古車情報も多くなっていました。


このような有利な条件が続いた中にあって、停滞と凋落現象はどのような形であらわれたでしょうか。


しばしばアメリカの企業行動の大きな特徴として、経営者が短期的利益志向に走って肝心の長期的、戦略的な観点にたつ投資や開発をおこたる傾向が強かったことが指摘されます。


この点についてその最も典型的なあらわれが、GMをはじめとするビッグスリーに顕著でした。


・・・たとえばGMでは、経営トップに技術屋出身よりも財務マン出身が幅をきかせるようになりました。


GMはスローンによる管理改革以降、利益管理の厳しい企業です。


それはあれだけ多くの事業部をもち、下手をすると寄り合い所帯の欠陥がいつ露呈しないとも限らないヤンモス企業のGMにとって、当然のやり方だったということはできます。

自動車メーカーの経営者

経営のすべてが冷徹な利益指標というもので評価され・・・


しかも株式市場をにらんでの短期的利益の追求だけをはかっていれば、それでうまくいくというものではありません。


経営者というものは、少なくとも5年、6年先をよく戦略的に見透す先見性をもち、目先の財務指標の根底にあるものをしっかり見据えつつ・・・


長中期的な業績向上のために必要な設備投資や研究開発投資と、短期的な売上高増加やコストダウンのバランスをとる経営の舵取りができなくてはなりません。


これは中古車情報市場においてもいえることです。


ところが財務マン主導の経営というのは、専門経営者としてトップに選ばれると自分の任期中の業績だけを中心に考える傾向が強くなります。


極端な場合年間の利益だけでなく、4半期(3カ月)ごとの利益に一喜一憂するようになります。


・・・つまり短期的な売上げとコストにのみ関心を集中します。


GMでは戦後歴代の会長はほぼ財務マンで占められていました。


自動車の技術畑からのオートマンと呼ばれる人々のトップへの登用は、1967年以降エド・コールの社長就任までほとんどみられませんでした。

財務マン経営の問題点

戦前GMをトップ企業に引きあげたスローンにしても、元来はMIT出身の技術屋であり・・・


ハイヤット・ローラーベアリング社という会社でベアリング製作に取りくみ、この会社がGMに合併されたことでGMに入社した人物です。


それとともに彼は、マーケティングについて並はずれの先見性をもち、GMの利益管理についても十分に通じていました。


しかし、財務数値だけにおぼれた管理をする男ではなかったのです。


また彼が会長になったあとも、社長に抜てきしたのは、かつてフォードにいてGMに移り、シボレーを大成功させていちやく有名になったヌードセンで、こちらはまったくの技術屋だったのです。


戦後の財務マン偏重の風潮はGMだけでなく、GMの管理組織や利益管理システムを導入したフォードやクライスラー・・・


はたまた他業種のアメリカ企業にも広がったわけですが、このような風潮を助長したのが、アメリカのビジネススクール教育だったといわれています。


ビジネススクールでは、高度な財務管理手法を開発し、これが広くビジネス界に活用されました。


もちろん中古車の検索システム業界においても同様です。

フォードの再建

戦後のフォードの再建に活躍し、社長になり、やがてベトナム戦争時の国防長官となったロバート・マクナマラ(現世界開発銀行総裁)は、有名なPPBS(プロフィット予算計画システム)方式を活用した人として有名です。


およそ管理システムというもののなかったフォードで、予算と利益の管理をシステム分析する手法を試みて大きな成功を収めています。


フォード社の車は中古車情報サイトなどでも根強い人気を誇っています。


これらの手法それ自体は、複雑な組織体や事業体の利益や予算のシステム分析にきわめて有効ですす。


この手法それ自体が短期的利益志向に結びつくというものではありません。


経営についての明確なビジョンを確立し、その下でこの手法を活用すればよいのですが・・・


長期的視点を欠いたままこの手法だけを絶対化し、それに溺れると、短期的利益極大ばかりを追求する手段になってしまうのです。


またこのようなシステム分析の手法は、分析に用いる数字の本当の生の姿、数字の裏にあるものをしっかりつかみ、見透せないと、単なる机上の数字の遊戯になってしまう恐れが多分にあります。


ビジネススクールでの教育には、明らかにそのような欠陥が目立つようになっていました。


・・・とくにそのような欠陥は、工場とか生産そして開発の現場を知らない人々が、数字だけで管理する風潮を生んだのです。

自動車メーカーのエンジニア

ハーバードビジネススクールはじめ多くのビジネススクールには、生産管理や製造についての学科がずっと設けられていませんでした。


1980年代に入って、改めて生産システムや工場管理の重要性がW・アバナシー教授等によって指摘され、はじめてこの分野についての学科が設けられたといわれています。


また技術畑のスタッフのあり方についても、自動車メーカーの中ではいろいろな問題が発生しつつありました。


たとえばエンジニアリングスタッフとして採用された多くの大学卒業者は、ほとんど工場や現場の経験を持たないのが当たり前となっていました。


中古車情報システム開発のエンジニアならいいですが、自動車メーカーのエンジニアなのにこれはマズイですよね。


自分の設計した車がどのようにしてつくられているかとか・・・


また、自分がデータ解析をしている生産管理のデータが、どんな生産工程や現場の生産条件からもたらされているかを知らないエンジニアが、幅をきかせるようになりました。


日本の製造会社では、どんなエリートの幹部候補生でも入社すれば現場実習というものがあります。


エンジニアスタッフでもいつも現場に出入りして、現場の情況をきちんと把握しています。

硬直的ハイボリューム生産システム

アメリカでも最近は新入社員の現場実習が始まったといいます。


エンジニアそのものが現場と乖離してしまう状態が、とくにビッグスリーでは目立ったのです。


またデザイン大型化競争が派手に展開された中で、ハリーアールをはじめとするスタイリストたちが、技術開発部門でも主流を占め、自動車のメカに強い真のオートマンは割を食うような風潮も生まれたのでした。


1950年代、60年代と、大型化デザイン競争とセカンドカー需要が拡大するという恵まれた市場環境の中で、ビッグスリーが革新的な自動車技術に不熱心になったことはよく知られています。


これは中古車情報が増えはじめたのも理由のひとつだったかもしれません。


これには短期利益志向ということと並んで、硬直的になったハイボリューム生産の絶対化という構造的な問題が深くかかわっています。


1950年代にビッグスリーの寡占体制はまさに不動のものとなりましたが・・・


それはスケールメリットの競争が頂点に達し、規模の経済性が高く、ハイボリューム生産の能力が高いほど競争力が高いという現実がそうさせたのです。


GMなどは5系列の車種をもちますが、それぞれが最低年間40万台程度・・・


シボレーなどは年間80万台以上も生産され、これだけのハイボリュームの生産を絶えず続けていくとなると、新しい技術や新しいメカの採用には臆病にならざるをえません。

ビッグスリーの寡占体制

新技術や新メカの採用は、メカニカルな加工や組立技術の面からも採用しにくいし、経済的コスト採算の面でも大きな投資をともないます。


たとえば、ビッグスリーはブレーキにはドラムブレーキを長く使っていましたが・・・


ヨーロッパや日本の小型車には性能のよいディスクブレーキがいち早く採用され、アメリカ車はこのブレーキの採用が10年以上おくれたといわれます。


これなども、ドラムブレーキに何百万台分の生産設備を投資してしまうと、改めてディスクブレーキに投資するのがたいへん大きなコスト負担になるという理由が非常に大きいのです。


このような短期利益志向と、硬直的なハイボリューム生産システムの絶対化にその根源をもつ革新的技術の停滞は、互いに関連し合っています。


またハイボリューム生産システムの優位性が絶対化されることと、ビッグスリーの寡占体制の形成は不可分ですが・・・


寡占体制といっても、その中でビッグスリーの各メーカー間のシェア競争だけは熾烈であり、そのことがよけい短期利益志向を誘発したともいえます。


また、中古車検索システムが開発されたことも理由のひとつかもしれません。


このような短期利益志向と技術停滞が定着してしまった中にあって、もう一つ大きな問題は、硬直的なハイボリューム一辺倒の大量生産方式が生みだしたアメリカ車の品質水準の低下と、労働問題として新たに登場した勤労意欲の低下でした。


"フォードシステム"

フォードシステムによるトータルな流れ作業システムの完成は、職務構造の複雑化と、単能工による単純作業の絶対化と結びつきました。


・・・このような現場作業における直接的熟練の排除と、生産工程の管理の特定エリートエンジニアによる掌握と、彼らが集約して作成する作業と生産スケジュールのマニュアルの絶対化は、現場で作業する人々の自分たちの作業についての自主的な作業改善や、創意工夫の芽をつんでしまいました。


・・・その結果、ビッグスリーの工場現場では、かつてフォードのハイランドパーク工場でライン同期化を進めた時代の、積極的な作業改善に向けての意欲は、跡形もなくなってしまったのです。


ビッグスリーの工場は、UAWの強い組織力と交渉力・・・


ならびにその強い経済要求に何とかこたえられるビッグスリーの高い収益性によって、アメリカの他産業に比べ最も高い賃金、社会保障など、有利な条件を確保していました。


それにもかかわらず、1960年代以降、工場ではアブセンティーズム(勤労意欲の低下)が目立ちはじめた。


それはとくに無断欠勤の増加や組立ラインでの飲酒といった形であらわれ、アメリカ車の品質水準の低下を招くことになります。


この傾向はとくに1960年代後半から70年代にかけて顕著となりました。


休日の前後で無断欠勤が増え、働いているワーカーも気持が落ちつかない金曜日や月曜日の車は欠陥だらけだから買うなとまで世間で言われるようになりました。


これはまだ中古車情報が少なかった時代の話です。

検査をきびしくすればよい

品質水準の低下は、一見労働者がやる気をなくし、かつサボることばかり考えていることから由来しているように見えます。


したがって、労働者の素質が悪いことが主な原因とみられがちですが・・・


この品質水準の低下は、いうなればビッグスリーが行ってきた、単能工による単純作業を絶対化し、また現場の作業実態を把握していない一部のIEスペシャリストによるエリート主義的管理の、積年にわたる弊害が生みだしたものなのです。


さらにこのことと密接に関連して、ビッグスリーの品質管理水準も著しく低下してきていたのです。


戦前のアメリカ車の品質は、世界でも最高でした。


・・・そして戦後もその伝統は受けつがれていました。


最近の中古車情報サイトなどでも人気を誇っているほどです。


それがなぜ1960年代後半以降、品質水準が低下したのでしょうか。


それは何よりも、品質というものについてのビッグスリーの労使双方の認識がすこぶる甘くなり、品質問題についての現場のワーカーの協力がえられなくなったこと。


それに、品質管理を特定の専門家だけでやればよいとする風潮が職場に蔓延してしまったためです。

アメリカ型生産システム

フォードシステム以来のハイスピード、ハイボリュームのアメリカ型生産システムでは、ラインスピードを上げ、量産効果を出すためには作りだめは当然とする考え方がありました。


このため、生産性をあげるためには少々の欠陥品が出るのは仕方がないとし、品質を一定水準に保つには検査を厳重にすればよい・・・


要するに欠陥品は検査ではねればよいということになってしまいました。


欠陥品や不良を生むのは、当然現場の工程内での欠陥作業や作業上のミスです。


本来ならばそれぞれの工程で問題を発見し、解決策を見いだしていく工程内での品質保証が基本でなくてはなりません。


いくら中古車情報システムもまだなかったような時代とはいえ、これではひどすぎます。


・・・しかしアメリカでは、単能工化した現場のワーカーにそのようなむずかしいことは要求できない、というよりむしろ彼らの能力をそこまで信頼できないということで・・・


現場にもまた最終の検査ラインにも、たくさんのインスペクター(検査員)を張りつけて厳重な検査ではねるようにするやり方が一般化していました。


たとえばわたしが1978年に訪れたクライスラーのデトロイトにある組立工場では、工場長に品質管理の体制について質問したところ・・・


この工場では一交代で2000人の従業員に対して100人もの現場にはりついたインスペクターがおり、そのほかにも組立ラインの後に長い検査ラインがあって、ここにも100人の検査員がたくさんの検査項目をチェックしていると説明しました。


粗製乱造

いかに大勢のインスペクターを配置しているかということ・・・


それにたくさんの検査項目をチェックしていることとを彼は強調したかったわけです。


これは品質管理は専門の検査員でやるもので、現場のワーカーは関係ないという考え方のあらわれです。


これに比べて日本の自動車工場では、品質は工程でつくりこむといわれるように、工程ごとに品質を保証するというやり方が徹底しています。


現場工程での検査は必要に応じて現場の組長などがこれを行い、ごく重要なチェックポイントにごく少数の専門検査員が配置されているにすぎません。


また前工程が後工程に品質を保証していくしくみになっているから、最終組立が終わってからの検査ラインは短く、これまた少数の検査員が配置されているにすぎません。


だから日本車は新車、中古車問わず世界中から需要があるのです。


このような品質管理体制そのものの抱えている問題点も、ビッグスリーで働くワーカーのモラルが高く、専門検査員がきちんとした検査をやっている限りは問題が表面化しませんでした。

品質低下の理由は・・・

ワーカーのモラルが低下し、かつこれを管理する人々のワーカーの能力に対する不信が強まると、やたらに検査項目がふえます。


いくら専門検査員をふやしても十分な対応ができなくなります。


その上1960年代になると、市場拡大に沿ってこれまでの大型車はつくりつづけながらも、コンパクトカーなどセカンドカー需要目当ての新しい車型がふえ・・・


また同一車種でもいろいろなバージョンがふえてきました。


これらのものを増産することにのみ力が注がれたので、全体としてビッグスリーの体質が粗製乱造の車づくりを容認する風潮となりました。


こうして品質についての基準そのものもずさんなものになっていったのです。


スケールメリット至上主義と、短期的利益追求のための目先のコスト削減重視の風潮が、品質を低下させるこのような傾向に拍車をかけました。


品質が低い車は、中古車情報サイトでももちろん需要はありません。


・・・このほかビッグスリーの部品生産は、これまたスケールメリット至上主義のために、大ロットで生産すれば儲かる部品は極力内製し、垂直的統合の効果を狙うようになりました。

量産効果を上げるために

前回述べたようなことは、結局秀れた部品メーカーを育成することをおこたり・・・


部品を内製する事業部そのものの技術力や品質をレベルアップすることを忘れさせ、部品についても大ロットでの生産だけを強調するようになりました。


また内製化したものであれ、外注したものであれ・・・


部品はいつも大ロットで大量に購入、納入され、自動車工場の中は倉庫と見まがうばかりの部品の山でした。


わたしも、1978年当時のアメリカの自動車工場を見て、部品の在庫が山のように、しかも乱雑に置かれているのに驚いたことがあります。


短期的コスト削減にあれだけ熱心だったビッグスリーが、工場の部品在庫の山には無関心だったというのは矛盾するようですが・・・


量産効果をとことん上げるには、大量見込み生産による作りだめがむしろ必要だという判断が、このような日本ではとても考えられない情況を生みだしたといえるでしょう。


このほかにも、ビッグスリーの凋落現象を示す傾向として、ビッグスリーはアメリカの企業の中でも抜群の巨額の利益を上げていながら、工場の新設や増設、設備の更新投資・・・


さらには革新的な技術開発投資にはあまり積極的でなかったことがあげられます。


こうしたことはいつも中古車情報をチェックしている車好きの方ならきっとご存知でしょう。

自動車メカの開発

前回述べたような傾向は、結局はビッグスリーの短期的利益重視の傾向に結びつくわけですが・・・


スタイリングやモデルチェンジのためのデザインや治工具類には金をかけても、工場や設備については償却額の範囲にとどめ、利益をもっと追加的に注ぎこんで工場や設備を新しくすることはしませんでした。


1980年頃、ビッグスリーの工場の平均年数は30年以上となっていました。


その当時で比較的新しい工場といえばクライスラーの小型車専用工場イリノイ州のベルベディア工場と、GMの世界最初のロボット工場。


ロボット導入と組織改革の失敗による大ストライキで有名になったオハイオ州のローズタウン工場ぐらいのものでした。


ちょうどホンダ 中古車が増えつつあった60年代後半になると、自動車の安全、公害問題が浮上しはじめていたのですが・・・


こういったことに備えるだけの革新的な技術開発の投資はほとんどなきに等しかったのです。


また自動車メカの開発でも、エンジンやサスペンション、足まわり、燃料噴射装置やディスクブレーキなどの開発も、ほとんど自分ではやらなかったといわれています。

"デトロイトマインド"とは?

要するにビッグスリーは、アメリカという世界一の巨大市場における寡占的支配の上に完全にあぐらをかいてしまっていたのです。


迫りつつある社会環境の変化や、市場動向の変化、中古車の情報の増加・・・


そして、台頭しつつある日本車の攻勢によって生まれようとする競争条件の大きな変化に備えようとしなかったのです。


アメリカの自動車評論家のブロック・イエーツは、このような傾向を評して、デトロイトの経営者たちのもつ、創造性よりも画一性を重んじるデトロイトマインドのせいだとしています。


彼によるとこの画一性は、ミシガン大などの中西部の名門大学か、GMインスティテュートのような業界のつくった学校の出身者が多いそうです。


デトロイト郊外のブルームフィールドヒルズのような地域に住み、個性的なものには一切手出しをせず・・・


お互いに軌を一にしたライフスタイルを好み、出世階段を昇るために、死に物狂いの仕事一途の過酷な人生ゲームを体験する中から身についたものであるといいます。


こういう人生ゲームを体験した人々は、がむしゃらに勤勉ではあっても、その物の見方が孤立主義的で視野が狭く、創造性よりも画一性にとらわれやすいといいます。

輸出自主規制とアメリカの自動車産業

1983年のアメリカ自動車メーカー業績回復のテンポは極めて早いものでした。


第二次石油危機以降の4年こしの累積赤字70億ドルを帳消しにしてしまう勢いでした。


・・・またその後の状況をみても、これ以上の自主規制は一見必要なさそうにみえます。


はたしてデトロイトの業績回復は自主規制を必要としないほどの、産業としての体質改善によってもたらされたものでしょうか?


また、今日までの業績回復に自主規制はどの程度貢献したといえるのでしょうか。


この点については、自主規制は、年間40万台もの日本製小型車(ホンダ 中古車なども含む)のアメリカ市場への流入をストップさせたことで・・・


長期自動車不況に悩まされたデトロイトに合理化による立直りの機会と値上げのきっかけを与えたことは確かです。


・・・したがって今後の自主規制の延長は、デトロイトの合理化効果のいっそうの浸透と、予想される大型車の値上げを助ける効果をもっています。


合理化による体質転換


ここで一つの基本的論点となるのは、デトロイトの業績回復が今後もはたして持続するかということ・・・


これと関連してデトロイトの合理化による体質転換は、これで成功したとみることができるかどうかということです。


1983年のデトロイトの業績回復は、何よりも、アメリカの金利低下とインフレ鎮静化によりそれまで買控えられていた自動車需要の回復・・・


そして、回復して増加したこの需要がとくに付加価値が高く、中古車情報の多い大型車(フルサイズとインターミディエイト)に集中したためです。


合理化による体質転換は現在も進行中とみてよいですが、徹底したレイオフによる人減らしと、これまで放置されてきていた生産工程の過剰在庫の削減やQCサークルによる生産性向上と品質管理水準の向上などには力を入れ・・・


そして、老朽化していた工場設備を更新し、ロボット化など新鋭設備の導入と新工場の建設を行ないました。


その結果、『タイム』誌(1983年3月21日号)によると・・・


たとえば従業員数を14万人から6万8000人に削減したクライスラー社のごときは、損益分岐点が年産230万台だったものを年産120万台にまで切り下げることに成功したといわれています。


ホンダの中古車について


他のメーカーでも少なくとも2割ないし3割程度の損益分岐点の切下げには成功しているとみられ・・・


このような点を考慮に入れると、かつてはサブコンパクト・カー1台当りで日本に比べ1500ドル前後の差があるといわれていました。


しかし、市場の回復で工場の稼動率がかっての64%から80%以上へとアメリカ産業平均を上回るに至った1983年には、この生産性格差は半分ぐらいは縮まっていたとみてよいでしょう。


それでもデトロイトの体質転換は、日米間の競争格差を完全に埋めるには至っているとはいいがたいもの。


また、ホンダ 中古車などを含む今後の市場動向や競争条件の見通しについても、まだ不確実な要素が強いとみなければなりません。


まず第一に、この数年間については長期不況の苦しい中で必死の合理化とスクラップ・アンド・ビルド的な更新投資を行ない・・・


その効果が市場の回復とともにすぐにあらわれ、日米間のコスト格差は縮小したけれども、これ以上の生産性とコスト格差の縮小は容易なことではありません。


さらに第ニに、もう一つの競争力を規定するファクターとしての品質水準で追付くことがこれまた容易でないのです。


米自動車メーカーの収益の回復


第三点として、小型車転換が未定着であるために、小型車の品質と生産性という日米間の競争の主要舞台で完全に対抗できる展望をデトロイトがもつに至っていないことも見逃せないのです。


まず第一のこれ以上の生産性とコスト格差の縮小には、一つは今後のUAWとの労使関係が当然のことながら大きな意味をもっています。


UAWとしては大量のレイオフ組合員を抱える中で賃金、労働条件などで多くの譲歩と妥協を重ね、QWLなど生産性向上運動に協力してきたいきさつがあります。


今後もこのような路線を続けるかどうかという問題があります。


それと同時に米自動車メーカーの収益の回復によって、当然それなりの見返りとして賃金水準の引上げを強く要求することは確実です。


・・・したがって賃金コストはこれ以上安くならないからコスト負担は当然増大します。


さらにもう一つ生産コストを決定づける大きな要因としてあげなければならないものがあります。


それは1978年スタートした燃費規制に対応して小型化戦略と小型車生産の増強、中古車の検索サイトの増加。


ならびに生産性格差克服の有力手段として行った巨額の設備投資の償却負担増の問題です。


デトロイトの回復

1978年、デトロイトは1985年の燃費規制完了まで約800億ドルの巨額の設備投資を行うとしました。


これらの投資は過去の治工具類中心の投資でなく、新工場や新設備、研究開発への投資です。


レーガン政権のもとで投資減税が実施されているとはいえ・・・


これだけの投資を償却していく負担は決して馬鹿になりません。


現にGMの治工具類を含めた償却負担は82年には77年の倍に増大しました。


また1985~90年にかけて、デトロイトは競争力格差解消のためにもう800億ドルの投資が必要になるといわれてもいます。


第ニの品質水準については、大幅に改善されたとはいえ、依然としてリコール件数が多くありました。


さらに、GMのXカー初め、何年間かにさかのぼってではありますが延べ何十万台とか100万台水準に上るリコールが依然として後を絶たないのです。


ホンダ 中古車が頑張る日本の体質では考えられませんね。

日本車との直接競合

アンケート調査による消費者の反応もやはり日本車や中古車検索に対する評価が高く・・・


アメリカ車に対する評価は若干上がってきたとはいえまだ相対的に低く、消費者の不信はなお強いものがあります。


この品質水準の問題は、労働の質もさることながら生産工程における生産技術や生産システムのレベルが大型車の小型化や生産の小型車転換に十分に適合できる形で上昇していないこと・・・


さらに、同じく部品メーカーが小型化や小型車転換に伴う設計変更や各種の技術変化にフォローできない部品生産システムの欠陥が根強く残っていることに起因するものです。


このようなことは、短期間での改善はむずかしいのです。


第三の小型車転換については、GMがJカーの失敗からトヨタとの共同生産のプロジェクトに切換えたことでも分かるように・・・


小型車、とくに日本車と直接競合するサブコンパクト・カーの生産では、デトロイト全体が大きな困難を抱えています。


小型車生産比率の高いフォードやクライスラーでもサブコンパクト・カーはまだコスト的にペイしない状態が続いているとみられます。


これはとくにサブコンパクト・クラスの生産ではデトロイトの経験が浅いこともあって、有効な部品の生産と供給の体制が整っていないことが大きく響いているからです。

ホンダの中古車への人気

最近の市場の大型車回帰現象で、GMなどは大型車生産比率を高め・・・


そのため政府の燃費規制が達成できなくなっても、4億ドル見当の罰金は覚悟していると報道されさえしました。


・・・以上のようにデトロイトの体質転換はかなり進んではいますが、まだ今後乗りこえるべき障害と未解決の問題は多いです。


現在のアメリカの自動車需要の急テンポの回復は、かつて1970年当時平均車齢が5・5年だったものが、2度の石油危機を経て・・・


とくに81、82年に7・2年まで延びたというデータでも分かるように、自動車不況で多年にわたり買い控えられた需要がここにきて戻ったために起っています。


ここ1、2年は少なくともこの需要の好調は続くとみられますが、かつてのデトロイトの基盤を支えてきた大型車中心の高収益構造が形を変えてでも文字通りよみがえって定着するかどうかが、今後のデトロイトの競争力を占う鍵となるでしょう。


ホンダ 中古車の人気が高まっている現在、アメリカの自動車市場は、大型車とくにフルサイズ車の需要が増大していますが・・・


このクラスは20%ぐらいで頭打ちになるとみられています。

日本車の上級移行

目下のところインターミディエイトも増加していますが・・・


そのかわりその下のクラスのコンパクトは減少しています。


興味深いことは、中古車情報の多い日本車がリードしているサブコンパクト・クラスの需要は依然として根強く、自主規制で供給が制限されているのに35%を占めていること。


大型車需要が増えてもこのクラスはほとんど影響を受けていないことを意味します。


今後の見通しとしては、フルサイズの大型車がいずれ値上げされれば、コンパクトに需要が戻る可能性は強く、インターミディエイトと両方合わせて中型車はほぼ45%ぐらいになるとみられています。


ここで問題は、大型車にかなり需要が戻ってはいますが、価格体系の上で日本車の強い競争力の影響のため大型車の高価格設定は制約を受けています。


かつてのように大型車で差別的な高収益をあげる方向にもっていくことがかなり困難だということです。


日本車はサブコンパクト市場で優位に立っているだけでなく、自主規制以降はコンパクト・クラスにも進出しています。


今後は日本車にもV6エンジン車が登場しつつあることでも分かるように、自主規制の続行とともに日本車の上級移行の傾向は強まり、デトロイトの寡占的高収益構造の再建を脅かすでしょう。

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